昨晩の感動さめやらぬうちに。
昨日は、建築家協会四国支部の大会で、徳島支部が主催し、伊東豊雄さん、古谷誠章さん、辺見美津男さんという豪華なゲストにお越しいただきました。伊東豊雄さんの基調講演の後、「これからの建築家」というテーマでトークセッションがありました。
僕は高知で開催された学会から急いで向かったのですが。ゲスト陣の方々の話を聞きにいったのではなく(!)、地元建築家を代表して、同じステージに登壇をした内野輝明さんに着目をしていました。自分が徳島で建築をやっていく上で、内野さんは最高のロールモデル、アトリエ系建築事務所の憧れだと思うのです。(行政の仕事をとっていく組織事務所を目指すならまた違う憧れの事務所もあります。)
全国区のゲストと対等に、いやむしろ地域に根差している分(ホームという強さあるかもしれませんが)、僕には誰よりも輝いてみえました。
たぶん、こういう感覚は私が東京にいた時(若造の時代)には持てなかったと思うのです。伊東豊雄さんというブランドでモノをみていたでしょうし。自分の感覚を通じてですが、地域の人が手に届くアイドルのように、手の届く建築家をこそ求めているのかなと思います。
古谷誠章さんが、ポストの数ほど建築家をとおっしゃられましたが、まさにそう思います。田舎に戻ってきて、建築家は全く足りていない現実と向き合います。住宅でも何でも、建築家が関わっている仕事というのは全体の数パーセントでしょう。他は、ハウスメーカーや工務店や大工さんが直接、お施主さんから仕事を請けています。
設計力のある工務店があることを否定はしませんが、将来を見通す力については、建築家に是があることは疑いの余地がありません。ただ、これまでの建築家はやはりお高いイメージがある。また、無茶苦茶な建築をつくるイメージもある。このイメージが近頃変わってきたのは、リフォームの匠等の番組で、建築家が施主のために一生懸命に考えて、考えて仕事をしている姿が、茶の間に流れたことが大きいのではないかと私は思っています。それと同時に、若い世代の建築家たちが、社会活動にも関心をもち、地域に入ってリノベーション等をしていることも、影響を与えているのだと思います。
私は昨日まで「建築家」と名乗るのはまだまだとても言葉に出来ないと思っていました。家協会の末席を汚し、小さな賞も頂けましたが、まだまだだと。内野さんも、あえてか無意識か、伊東豊雄たちに対して、ご自身のことを建築士、設計士という言葉を使っていました。
これからは、積極的に「建築家」という言葉を使っていこうと思いました。例えば、私はこれまでに、古民家を改修して店舗にしたいという相談を受け、賃貸条件を検討したり、店舗の利回りを考えたりと、川上(企画)から川下(設計)まで関わってきました。他にも、廃校にゲストハウスをつくったり、古民家を芸術福祉施設としたりと、とにかく川上(企画)から関わって、施主さんがイメージできていない空間や使い方を絵として表現してきました。未来を見通す力、そして色々な人の意見をまとめていく力こそが「建築家」の資質なのだと、昨日の講演会を聞いて思い、自分ももう名乗ってもよいと思いました。(生意気です)。
川上から関われるのは規模が小さいからと、都市計画がないからです。都会で、民間企業の仕事ならばデベロッパーが川上にいて、建築家(設計事務所というべきか)やゼネコンが、川上に入っていけない場合が増えています。行政の仕事も、川上にコンサルタントがいて、建築家からアイディアをとっていくようなケースが多いのではないでしょうか。そして、デベロッパーの上には銀行がいて、コンサルタントの上には役所や議会がいてと、施主の顔は遠く遠く。
私も前職はコンサルタントですが、当時の自分も含めてこういう人たちは建築を全く知らない。言葉の上の整合性をとったりとか、利回りとかそういう計算はできる。ただ、人の心を感動させるとか、本当の意味で安心をしてもらうとか、一番大切なところは抜けています。近頃、大規模プロジェクトに全く感動がないのは、川上に近い人たちが建築を楽しむのではなく、経済のために建築をみているからでしょう。
20世紀は経済で現代の問題を解決しようとしてきましたが、それは一定の成果を得ましたが、公害や地球温暖化、安全性の低い食物や水、格差の拡大など、大きな問題を残しました。21世紀、経済に代わるものは何か、みなが地域を這いつくばって探し求めています。ハチドリのように。伊東豊雄さんでさえ、あれだけの大規模プロジェクトを設計しても満足できずに、大三島でまちづくりに関わることの方に喜びを感じている。たまたま、自分の美術館を建ててもらえた、自分の出生などと関わりのない島で、生きる意味を考え直すように建築をつくっている。これは、何が起きているのか。
私の友人は、経済に代わるもの、それは「文化」だと言いました。まさにわが意を得たり。ここでいう文化というのは、きらびやかで人に自慢をする文華ではなくて、生活に根付いた市井の知恵のようなものでしょう。
例えば、徳島の林業の問題は、文化に頼らなければ解決はできません。戦後植えた杉は樹齢60年を超え、今、主伐しなければ、太くなりすぎて切るコストが大幅にあがります。間伐ではもう間に合わないのが現状です。しかし、九州の方は40年生の杉があり、建材にするには40年生で240ミリの梁がとれる。この頃は300ミリの梁はでない。コストが安いからと九州の杉が売れる。徳島の方は、売れ残りが怖いから、在庫を持ちたくない。在庫を持たないためには、1年もかかる天然乾燥ではなく(需要の変動に対応できない)、1週間で乾く人工乾燥にする。でも、人工乾燥は内部割れがあり、強度が落ち、100年を超えるような寿命がない。30年等の短いスパンで住宅生産が繰り返され、男は人生をローンにしばられる。話がずれましたが、加えて、人工乾燥は化石燃料を使い、CO2を排出します。
良い杉の木を天然乾燥させて、長く使える住宅をつくる。そして、主伐をした山の斜面に、新しく植林をして、木が成長していく過程でCO2を固定していく。今植えた樹は40年後、自分の孫がいい年齢になる頃に初めて使えます。山の治水にもつながっていきます。
これを文化としてとらえないと、施主さんからのどうして高い徳島の杉を使わないといけないのかという質問や、同業者からの建築ではなく林業の方にお金が回っていくのか等の質問に答えられないと思うのです。
林業を例えにしましたが、多くの問題を現代社会は抱え、それらが相互に関係をしあっています。自分の子どもたちに、どのような環境、建築、食物を残していきたいのか、三人よれば文殊の知恵といいますが、地域で建築家も一人の仲間として、社会問題を解決していく。これが私が思う「これからの建築家」です。