というか、石積み教室の先生をしていただいた、高開さんに会いに。
高開さんは、この高開集落に住む高開さんで、石積みの大先生。
自分の段々畑に芝桜を植えて、一般公開をしている。数年前からの取り組みが、今では全国からボランティアも来てくれるような大きなイベントになっている。
単純に芝桜が美しいというだけではない。
高開さんの心の美しさに惹かれてみんなやってきているのだと思う。
「なぜ、駐車場料金をとらないのか?」
高開さんと少しづつ心の距離が近くなってきた時に問いかけた。
手間代の足しにはならないにしても、肥料代から、苗代、お金はかかるものはかかる。
高開さんの答えには、ちょっと感動してしまった。
「駐車場に募金箱を置いている。誰もかれもからお金をもらわなくてもよい。心ある人からでよい」
本当にそうだと思う。
お金は心を伝える。極端な話だでど、恨まれながら得た大金は、その人の命を奪うと信じたい。
心と心が重なり合い、村が修景されていく。
行政も少ししか入っていない。民間企業も入っていないようだ。もしかすると、途中でとまってしまうかもしれない。
でも、今まで続いている。なんなんだろう、これは。
徳島にも補助金漬けの農村振興が山のようにある。この頃話題の地域もそうだが、名前やカッコよさやお金の流れが違うだけで、過去のものと
本質的には変わらない。何とも文章にしにくいのだけども、打算であったり、見栄であったり、何かそういうものを感じてしまう。
一番近い言葉は、「誇り」なのかもしれない。