先週末に、上板町の棚田であった、かなりマニアックな催しに参加をしていました。
その名も『石積み学校』!
段々畑等で今も残る石積み、田舎の原風景です。
しかしながら、職人さんは高齢化が進み、県内でも数名というところまできています。
伝統木造が出来る大工さんが減っているとは言うけども、まだまだ若い大工さんもいるし、仕事もある。
でも、石積みはほぼ、コンクリートに代わってしまって、今では道具をきちんと揃えている職人さんがいなくなっています。
徳島大学の真田純子先生が使命感に燃えて、石積み修復の学校を年に数回開催されています。
今回はたまたま上板町で開催とのことで、参加をさせて頂きました。
講師は、高開さん。
そう、今朝の徳島新聞に載っていた、三郷の高開集落のシバザクラを育てている、高開さんです。
学校では、崩れた石垣を撤去するところから始めます。
石積みを撤去して、再利用しやすいように、石の大きさごとに分けていきます。
ユンボで撤去すると、壊すのは早いのだけど、土と小石と医師が全部混ざってしまって、
後でとても苦労をします。やはり手で仕分けながら撤去する方が早いとのこと。
擁壁の角度は、三分転びとしました。
コンクリートの擁壁を設計した立場から言うと、かなりきつい勾配です。
通常のコンクリートの塀ならば、かなり根入れを入れるか、L型にしないと、土圧水圧に負けてしまいます。
でも、石積みだと、石の間から、水などが抜けていくから、根入れはたったの25cm位ですみます。
しかも、食料がなかった昔は、耕地面積を増やすためにもっときつい勾配でつんでいたそう。。。
みんなで手分けをして、石を積んでいきます。
石を積む人、積むための石を刻んで詰めるように加工する人、石の裏に込める栗石(ぐりいし)を運ぶ人と、仕事が分担されています。
石垣の裏には、たくさんの栗石が詰められていて、これが微少な動きをしたり、荷重を支えたり、地震力を逃がしたりと、
重要な働きをしています。表面にみえる石の奥行と同じだけ、栗石が詰まっているとのこと。
石の積み方でも様々なことが分かります。
上の写真は右側が古くからの石積みで、左側が今回新しく積んだ石積みです。
下から上まで平らに積んでいる場所があると思いますが、これが新しく積んだ石積みの端で、
古い石積みとは力学的に関係性をなくしています。
そうすることで、将来的に、右の石積みを直す時に、今回新しく積んだ石積みを傷めなくてよいようにしているのだとのこと。
最後に、砂利と土とをかぶせて完成です。
どうですか、美しいでしょう。
一番下は荷重を大きく受けるため、大きな強い石を置き、上に行くほど、小さな石が摘まれています。
伝統木造をやってる立場から言えば、コンクリートよりも石の方が絶対に強いし、長持ちをします。
コンクリートはどんなに保護をしても、中の鉄筋にまで水が入っていて錆びてしまい、耐力がなくなるのに60年。
良い石であれば200年は軽く持ちます。
しかしながら、建築や開発の関連法のなかで、職人による出来の差が少なく、かつ構造計算が出来るコンクリートが採用され、
石積みは、文化財を残して、世の中から仕事としては消えてしまいました。
確かに今の棚田の石積みがダメになれば、コンクリートの擁壁を打ち、表面に石を貼れば、景観的にはそれでよいのかもしれません。
しかしながら、本来石積みが合って、それをまねて石を貼ったということが、忘れられないようにしないといけないと思います。
出来るならば、民間の中で技を残していきたい。
日本では建築の始まりは大工から、土木の始まりは石屋から、です。西洋では、建築の始まりも石屋からでしょう。
始原を知るということは、技術者として今の立ち位置を問い直すということ。
石積み学校については、徳島新聞にも掲載されているのでチェックしてみてください。
http://www.topics.or.jp/localNews/news/2014/03/2014_13937364103765.html